サマルカンド2日目は、朝からガイドツアーをお願いしていました。見どころがたくさんあり過ぎたので、何回かに分けて書くつもりです。
サマルカンドのガイドツアーについて
今回のツアーは、サマルカンドのことを調べると真っ先に出てくる、サマルカンドツーリストインフォメーションセンターに問い合わせして予約しました。センターは観光客の多いタシケント通り沿いにあり、散策ついでにも立ち寄りやすい場所です。
ツアーの予約は前日まで。私はインスタのDMから問い合わせしました。ガイドツアー以外にも、バザール訪問ツアーやお料理体験、ウイグル語レッスンなど色々なアクティビティがあったので、サマルカンドに行かれる方は事前に情報収集して予約しておくと、より滞在を楽しめると思います。
問い合わせは日本語でも可能ですが、日本語ができないスタッフの方もいらっしゃるので、日本語と英語両方で記載する方がベターとのこと。私が予約をした際には、日本語でやりとりができました。
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日中は暑いので、ツアーは9時あるいは17時スタートになるそうです。我々は9時スタートでお願いしました。いくつかプランがありましたが、スタンダードツアーのコースA(ビビハニムモスク、レギスタン広場、グル・アミール、シャーヒ・ズィンダ廟の4箇所を回るツアー)を選択しました。
9時にツーリストインフォメーションセンターに行き、学生ガイドのアミールさんとともに出発!この日も40℃近くまで気温の上がる暑い日でしたが、アミールさん曰く「ウズベキスタン人にとっては、これぐらいは暑いうちに入りません。45℃を越えたら暑いです」とのこと。鍛え方が違うね…彼は日本語を勉強して4年程、まだ日本に行ったことはないそうですが、日本語が大変お上手で驚きました。母国語で説明してもらえると、やはり理解度が全然違うのでありがたいです。
ビビハニム・モスク
まず最初は、ツーリストインフォメーションセンターからすぐ近くのビビハニム・モスクからスタートです。
サマルカンドは、10世紀ごろからオアシス都市として発展してきたシルクロードの街です。ブハラと同様、13世紀にはチンギス・ハーンによって破壊されたそうですが、その後14世紀に登場したアミール・ティムールによってティムール帝国が築かれると、その首都として大いに栄えました。
ガイドのアミールさんによると、「サマルカンドはその頃、今で言うニューヨークのような国際都市でした。高い技術を持った人や職人、学者もたくさん集まってくる場所でした」とのこと。この建物の建築にも、熟練の職人200人、500人以上の労働者、そしてインドから連れてきた95頭のゾウが使われたと言われています。
ビビハニム・モスクは、ティムールが亡くなる直前、1399年〜1404年の間に建てられたモスクで、当時は中央アジア最大のモスクだったそうです。あまりにも突貫工事だったせいで、完成後は崩落事故が相次いだこと、また地震の影響もあって長い間廃墟になってしまい、修復が始まったのは70年代からだそうです。大モスクの内部は、今も崩落の危険があるとのことで立ち入り禁止です。
建物のあらゆるところに「アッラー」の文字が入っているのだと教えてもらいました。例えば右の写真、青い文字で書いてあるのがそれです。言われてみると、今まで見てきた建物にもたくさんこの文字があったのだと気づきました。
小モスクには入場可能でした。早速中に入ってみます。
「ビビハニム」とは、ティムールの王妃の名前に由来しており、第一夫人の意味だそう。緑の帯の部分に入っているアラビア文字はコーランの一節だそうです。
このモスクをめぐっては色々なエピソードが残されています。そのどれもが「権力者の妻になるって、大変でしょうね…」と思う内容ばかり。気になる方はぜひ調べてみてください。
小モスクの内部の装飾は白基調で、なんだか清楚で可憐な雰囲気です。
中には、かつてのビビハニム・モスクの様子の展示もありました。この当時の写真と比較すると、今の修復ぶりは見事ですね。
あまり良い写真が撮れませんでしたが、中庭には巨大な書見台(コーランを置く台)があり、願い事を唱えながらこの周りを3周すると、願い事が叶うと言われているそうです。私は特に願い事が思いつかず、トライしておりません。真ん中の木の種類も教えてもらったのですが、メモを取り忘れてしまい、何だったか思い出せません…そのためにメモ帳を持参したというのに…
ビビハニム・モスクを出た後は、そのまま徒歩でシャーヒ・ズィンダ廟に向かいます。シャーヒ・ズィンダ廟には2日連続で訪れたので、また別記事でしっかり書こうと思います。
グル・アミール(アミール・ティムール廟)
続いて向かったのはアミール・ティムールの霊廟、グル・アミールです。シャーヒ・ズィンダからは少し距離があるので、タクシーで移動しました。グル・アミールというのは、タジク語で「支配者の墓」という意味だそうです。
元々こちらの建物は霊廟ではなくメドレセ(神学校)だったそうで、向かって右側のゾーンには2階建の宿舎が建っていたそうです。1403年にアミール・ティムールの孫が戦死すると、これを悲しんだアミール・ティムールがここに霊廟を建てたのが始まりだそうです。孫の死後1年後、アミール・ティムール自身も急死し、ここに葬られました。
中庭にあるこの石に関しては、色々伝承があると教えてもらいました。当時の兵士達は出征前にここに小石を1つ投げ入れ、戻ってくるとまたそれを拾っていたのだとか。これによって、生還した兵士の人数を数えていたと言われているそうです。また、体を強くすると言われているザクロジュースを入れて兵士が出征前に飲んだという言い伝えもあるとのこと。
霊廟内に入ると、まずアミール・ティムールに関する様々な展示があります。
当時のティムール帝国がいかに巨大だったかがわかります。しかしこれだけ領土が広大になると、きっとその土地を維持していくだけでも大変だったことでしょう。
そしていよいよ霊廟内へ。目も眩むような金色の装飾に、しばし言葉を失って呆然と上を見上げてしまいました。言葉を失う我々の様子に、ガイドのアミールさんも何だか誇らしげです。
内部の修復には、3〜4kgの金が使われたそうです。この眩い金色は、本物の金箔の輝きだったのですね。青と金がよく合い、華やかなのに高貴です。
霊廟の内部には、アミール・ティムールを始め、その一族やティムールの教師のお墓が並んでいます。棺は並べてありますが、実際の遺体は地下3メートルの地下室に埋葬されているのだそうです。
これらがその棺ですね。中央の黒い棺がアミール・ティムールのものだそうです。大変貴重な石を使っているそうで、もちろんこの石が最も高価なものだそうです。
壁面の装飾、まるで星ような装飾の一つ一つにも、アッラーの名前が入っています。
どの角度から見ても本当に美しく、しばし時間を忘れてこの空間を堪能しました。
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外に出て、裏側に回ってみます。壁はもちろん、ミナレット(塔)にもアッラーの文字が入っていることが今ならわかります!
アミール・ティムール自身は、本当は故郷であるシャフリサーブスに葬ってほしいと希望していたそうです。しかし亡くなった当時はシャフリサーブスへの道が雪で閉ざされていたため、ここに埋葬されることになったのだとか。建物の裏側には地下道への入口があり、この地下道は60km先にあるシャフリサーブスまで続いていたという伝説があるそうです。発掘調査をしたら跡が出てきそうですよね。
再び美しいアーチをくぐり、今度は歩いてレギスタン広場に向かいます。
▼レギスタン広場の様子はこちら
▼シャーヒ・ズィンダ廟群も最高でした
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