台湾には、日本統治時代の日式建築がたくさん残っています。高雄初日の午後は、まずは気になっていた日式建築である、「逍遙園」に行くことにしました。
泊まっていたホテル最寄りの美麗島からは地下鉄で1駅の距離で、歩いても15分弱ぐらいで行けます。暑い日でしたが、周辺の雰囲気も味わいたくて歩いてみることに。急に日本風の建築が現れるので、なんだか不思議な感じがします。正面玄関は右手側のようだったので、そちら側までぐるりと周って入園します。
逍遙園
逍遙園
住所:高雄市新興区六合一路55巷15号
開園時間:11:00~17:00(土日祝~18:00)
休園日:月曜日
入園料:無料
公式facebookページ:https://www.facebook.com/xiaoyaotakao
★地下鉄 信義國小駅 1番出口 徒歩1分
★日本語パンフレットあり
青々とした広い芝生の広場や蓮池を横目に、まずは建物まで。
かなり大きな建物です。
逆光で何が何やらという写真になってしまいましたが、和洋折衷の建築に、ちょっと中華の要素も加わったような、不思議な雰囲気の建物です。
逍遙園がどういう建物かと言いますと…
逍遥園は1940年に浄土真宗本願寺派(西本願寺)第二十二世法主・大谷光瑞(1876~1948)の別荘として建てられました。
1945年に日本の植民統治が終わると、中華民国政府に接収されます。当初は軍病院関係者の宿舎にあてられ、周囲にも急ごしらえの宿舎が建てられたので、この辺りはいわゆる「眷村」(外省人を中心に公務員、軍関係者などが暮らす区域)となりました。
その後、老朽化したため、解体して再開発する計画が持ち上がりましたが、高雄市民の間から古蹟として保存しようという運動がわき起こります。その結果、2010年に高雄市歴史建築に指定され、2017年に修復工事が始まり、2020年11月1日にリニューアルオープンしました。
ちなみにこちらの建物、その見事な修復ぶりが認められ、2023年には文化省の「国家文化資産保存奨」に輝いたそうです。
それでは、まずは1階にある「大食堂」のエリアから見てみましょう。
ありがたいことに、しっかりした日本語のパンフレットが用意されています。展示物の説明は繁体中文のみのところが殆どでしたが、パンフレットの説明が詳しいので、これを確認しながら見て回ると面白いと思います。
1階には逍遙園や周辺エリアの概要についての展示と、奥にはカフェスペースがありました。
昔懐かしい日本のような雰囲気ですよね。
1階の大食堂の隣には、防空壕のスペースがあります。
こんな風に建物の1階に作られた防空壕は初めて見たのですが、これで本当に爆撃を防げるのかしら…と、ちょっと心配になりました。
続いて、裏に回ってみます。
細部まで美しい建物です。
照明も素敵。夜に明かりが灯った様子も見てみたいものです。
2階へはこちらの入口から上がります。
縦にも横にも、かなり大きな建物であることがわかります。
いざ、2階へ。
まずは入口で全体の間取りを確認します。
入口で靴を脱いで上がります。艶々とした床材は、防腐、防蟻効果の高い台湾ヒノキだそうです。
最初に現れるのは、「踏み込み」と言われるスペースです。壁も天井も、矢羽根模様の網代(編み込み)になっています。
正面の窓から外がよく見えます。建造当時、この建物の周辺は「大谷農園」と言われる農園になっており、大谷光瑞が熱帯農業を研究、実践する場所だったそうです。
バルコニーの手すりが低いのは、遠くに見える山脈の景色を楽しむためと推測されているとのこと。言われてみると、身を乗り出したらすぐに転げ落ちてしまいそうな、低い手すりですよね。
さて、先ほどの「踏み込み」から一歩中に入ると、今度は小食堂、兼広間があります。
反対側から見るとこのような感じです。扉の奥が踏み込みスペースです。
こちらの食堂スペースは、客人の接待や食事にも利用されていました。この写真の向かって左側には配膳口もあり、その奥が炊事場です。ここから食事を提供していたのですね。
お花が映える空間です。
小食堂と広間の天井は、船底天井と呼ばれるもの。表面がセメントで塗られているのだそうです。職人さんの手で凸凹をつけたこの手法は、日本統治時代の洋館によくみられる装飾技法なのだとか。
大谷光瑞と皇室の関わりに関するパネルもありました。大正天皇の義理の兄にあたるのですね。
こちらは書斎。床の間の柱は、京都にあった三夜荘から移築したもので、日本の樫の木だそうです。床の間の市松模様は損傷が激しかったそうで、写真をもとに復元したとのこと。
大谷光瑞は存命中、日本国内だけでなく満州や上海にも別邸を持っていたようです。軽く調べてみましたが、現存しているものはおそらく逍遙園だけのようです。
なんだか昔懐かしい窓の鍵ですね。
こちらは製図室の天井です。書斎の床の間と同じく、市松模様になっていました。これが外からもよく見えて、不思議な雰囲気を醸し出していましたよ。
そしてこちらが大谷光瑞の寝室、浴室です。この建物の全体の中で、この寝室だけが石綿のような断熱材で覆われているのだそうです。
そしてこちらは「婦人室」という名のお座敷です。こちらは大谷光瑞の身の回りの世話をする、女性秘書の居住スペースだったそうです。
ちょっと畳がたわんでいる感じだったのですが、これは湿度のせいでしょうか…?
最後にやってきたのは炊事場です。
真ん中には流し台。排水溝には溝があり、野菜くずなどを濾過できる仕組みです。生ごみは無駄にせず、家畜の餌にしていたそうですよ。
タイルの貼られた釜戸周り。このタイルは、日本の老舗タイルメーカーである淡陶株式会社製のものだそうで、浴室にも同社のタイルが使われているそうです。
ここが食堂と繋がっていて、配膳口から食事を提供できる仕組みになっていました。当時の感覚からしたら当然のことなのだと思いますが、徹底して人に仕えられる立場の、高貴な人のための家だな…と思ったりしました。当時現地の人にどのように受け入れられていたのか、気になるところです。
最後に記念撮影を。無料とは思えない充実した展示で、興味深く見て回ることができました。建築に興味のある人にはおすすめの観光スポットです。この後は、地下鉄とバスを乗り継いで、また新たなヘリテージビルディング、打狗英国領事館に向かいます。
日式建築について調べていたらこんな本を発見。読んでみます!
著者の方のこちらのインタビューも大変勉強になりました。
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