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【岐阜】高山の朝散歩と、名解説付き高山陣屋の見学(2024.5)

高山の朝散歩

高山で迎えた朝は快晴!まるで夏のような日差しの中、我々にしては早めの9時頃から、お散歩がてら高山陣屋に行くことにしました。

 

 

古い街並みが続き、川も綺麗で、歩いているだけでとても気分が良いです。空が真っ青で美しいですね。

 

 

酒屋さんと、銭湯。

 

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宮川の朝市もチラリと覗いてみました。観光客で大賑わいです。食べ歩きをしている人たちも多かったのですが、私たちは朝ごはんを食べたばかりだったのと、この後11時半から友人とランチの約束があったので我慢。

 

 

川の水が驚くほど澄んでいて、鯉がたくさん泳いでいました。川沿いに南下して、高山陣屋に向かいます。

 

高山陣屋

朝市から歩くこと約10分、高山陣屋に到着です。ここにも小さな朝市が立っていました。

 

高山陣屋

ホームページ:https://jinya.gifu.jp/
住所:岐阜県高山市八軒町1丁目5
開館時間 ※4月-11月:8:45-17:00(入場16:30まで)
     ※12月-3月:8:45-16:30(入場16:00まで)
入館料:大人440円(個人)、高校生以下無料

 

 

 

表門は、天保3年(1832年)に再建されたものだそう。

 

高山陣屋は代官・郡代やその部下が仕事をする「執務空間」、 代官・郡代とその家族らが生活する「居住空間」、年貢米を貯蔵する「米蔵」の 3つの要素で構成されています。

https://jinya.gifu.jp/

 

こうした主要建築物が残っているのは、全国でもこの高山陣屋だけなのだそうです。

 

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館内は土足厳禁のため、入口で靴を脱いで上がります。靴を入れるためのビニル袋を入口でいただけました。

 

ちょうど我々が入ったタイミングで、ガイドの方による解説が始まっていました。これがもう、少し聞き始めたら面白いの何の…こんな価値のある説明を無料で聞かせていただいて良いのですか?という気持ちになるほど。

 

お代官様は知事でもあり裁判官でもあったので絶大な権力があったんですよ…という話だったり、江戸から来た役人は国家公務員、地方の役人は地方公務員で、権限や役割がこんなふうに違いましたよ、などなど、わかりやすくて面白い!

 

 

例えば玄関は身分によって細かく分かれており、江戸からの役人には3段の階段付き、地方の役人には2段付き、庶民にはなんの気遣いもなし!など、当時の封建社会ぶりがよくわかる作り。

 

また、武家屋敷では床の間に向かって必ず平行に畳が敷かれていますよ、なぜなら垂直に敷くと「床を刺す」と言って、寝首をかかれる意味合いになるからです…などなど、現物を前に解説していただけて、生きた授業とはこのことか!という感じ。

 

 

畳の敷き方すら、その部屋を使う人の身分によって違うのだそうです。もちろん、右が偉い人のためのものですね。庶民向けには畳のへりすらありません。

 

当時の女中に生まれていたら、私は絶対にやっていけなかったことでしょう。女中の部屋には雨戸もなく、理由はと言えば日が登ったらすぐに目覚めて仕事ができるように、というもの。つ、辛い…

 


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あらゆるところに階級社会と家父長制を感じます。庶民のご飯が作られるのは土間です。


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お代官様の食事はこの畳つきの板の間で作られ、お毒見役が毒味をしてから運ばれたそうです。

 

 

屋根の葺き方についても解説がありました。屋根もまた、身分の高い人が過ごす場所ほど細かい葺き方になっているのだそうです。

 

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裁判もまた、この陣屋で行われていました。民事裁判と刑事裁判で裁く場所が分かれており、民事裁判に関してはお寺のお坊さんが本人確認をしたそうです。地元のお坊さんなら、ちゃんと檀家の人たちの顔を把握しているだろう、ということですね。

 

 

こちらは刑事裁判を裁くお白州。江戸時代は自白が重視されていたそうで(!)、責台と言われる台で石抱責という拷問が行われたそうです。

 

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引用元:Wikipedia

 

ぎゃーひどい。この石は1枚45Kgもあるのでそうで、自白強要装置ですよこんなの…

 

 

最後は米蔵へ。先ほど説明していただいた屋根の葺き方が、下からしっかり確認できます。

 

特徴的な板葺き屋根は、釘を使わずに板を木の棒と石で押さえる「石置長榑葺[いしおきながくれぶき]」という葺き方を採用。材料には、油分を多く含み水をはじく利点を生かしてヒノキ科のネズコが利用されていました。5年単位で上下・表裏を返して20年もの間、素材を生かすこの工法を現在も守り続けています。

https://jinya.gifu.jp/highlight/

 

葺き替えやすいように釘で止めず石で重しをするだけ、というのが何ともエコですよね。しかも木材は計20年も使えたそうで、よく考えられた無駄のない仕組みです。

 

 

米蔵が焼けないように、通気口の前には必ず「火伏せの石」というものが置かれているそうです。家事や災害際には、この石で通気口を塞いで被害を防いだのだとか。実際、ここの蔵は長く災害に遭わず、現存する江戸時代の米蔵としては最大で最古だそうです。

 

 

屋根の葺き方について、ここにもわかやすい例がありました。左側の葺き方を見ると、ずいぶん何枚も板が重なっているのがわかります。一方右側の噴き方は、5年ごとの葺き替えを見越して木の棒と石で止めただけの「石置長榑葺」ですね。

 


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年貢を納めるときには、減る分を見越して少し多めにお米を入れて納めたそうです。これを込米(こみまい)と言うのだそう。みんな昔から税金に苦しめられていますね…飛騨は元々決して豊かな土地ではなかったそうで、厳しい年貢の取り立てを巡って反乱が起きたこともあったそうです。

 

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ところで、江戸から遠く離れた飛騨高山がなぜ天領(幕府の土地)になったかというと、良質な木材を始め、資源が豊富だったから…というのが大きな理由だったようです。今も昔も、古今東西、権力者は勝手で強欲になっていく決まりなのでしょうか。赤穂浪士だってね、あれは赤穂の塩が大元の原因でしょうなあ!という解説に、ははーんなるほど!となりました。

 

 

詳しい解説付きで、とても楽しめました。行かれる方は、ぜひともガイドさんのお話に耳を傾けてみてください。一聴の価値のある、名解説でした!

 

 

 

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